奈良町  その8


 誕生寺(TEL 0742-22-5333)

 「徳融寺」の斜め向いが浄土宗異香山法如院「誕生寺(たんじょうじ)」です。中将姫が生まれた藤原豊成の屋敷が在ったので「誕生寺」と呼ばれ、中将姫に因んだ霊地ゆえ、もちろん尼寺で、姫自作の本尊「中将姫法如尼坐像」を安置し、裏庭に産湯に使った井戸があり、庭の奥の「極楽堂」へ向う所に中将姫を浄土へと導いた二十五菩薩像が立ち並んでいますが、それらの石像の仕草は大変かわいらしく、なお、中将姫は才能が世に知られ、9歳の時、女帝孝謙天皇から三位中将の位を賜りましたが、16歳の時に継母によって宇陀市菟田野(うたの)の雲雀山(青蓮寺)へ捨てられ、後に狩りに来た父豊成と再会して帰宅しました。
 中将法如比丘尼の「産湯の井戸」

 743年(天平15年)8月18日に生まれた中将姫は、「誕生寺」の井戸で産湯を使いました。なお、その頃この辺りに父・豊成卿と母・紫ノ前、そして、姫の御殿が3つ並んでいたので「三棟殿」とも称し、また、「元興寺」がこの地一帯を境内としていた頃は「誕生殿」と云われ、今は「東木辻の三棟誕生寺」として知られていますが、正式な名称は、異香山(いこうざん)法如院「誕生寺」と云い浄土宗の尼寺です。また、中将姫は、766年(天平神護2年)24歳で世の無常を悟り、当麻寺の実雅阿闍梨の下で出家剃髪して、名を法如比丘尼と称し、蓮の糸で当麻曼陀羅を織り上げ、往生は771年(宝亀2年)3月14日29歳です。
 浄土宗一心山築地院「称念寺」

 誕生寺から南へ行くと「称念寺」です。1168年(仁安2年)重源上人が宋から帰朝して開山し、元は「築地院」と云い、鎌倉時代「称念寺」に改め、後に浄土宗へ改宗され、阿弥陀如来立像を安置する本堂は市指定文化財、なお、境内に仰山の石仏を山と積み、1693年(元禄6年)松尾芭蕉が詠んだ句碑「菊の香や奈良には古き仏たち」もあり、県下最古の芭蕉の句碑です。また、1600年頃(慶長年代)ここらに辻堂が在り、傍らに1本の大樹が繁っていたので「木辻町」と呼び、1629年(寛永6年)遊郭が造られて、井原西鶴の「好色一代男」にも書かれた竹格子の有る色街で、当院が娼妓死亡の際には引導寺でした。

 ならまち振興館(TEL 0742-27-1820)

「称念寺」から南北の道を南へ出て、左へ曲がり、東西の大きなバス通りを東へ進み、また南北の「上ツ道」を北へ入って行くと直ぐ右(東)側に写真の様に普通の民家風の「ならまち振興館」が建っています。入場は無料で、9:00〜17:00。お休みは月曜(祝日の場合はその翌日)と、祝日の翌日(土・日を除く)、そして、12/29〜1/3です。大正時代初期に建てられた旧苗加家の住宅を改修し、地域文化の振興に役立つ施設として、平成7年4月にオープンしました。2階の応接間は、社交の場として利用された当時の面影を今に伝えていますが、東大寺など奈良の諸行事に関するビデオがあり、勝手に見られます。




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