奈良市西部から茶筌の「高山」辺り  その8

 竹の寒干(かんぼし)

 奈良県生駒市の北端に位置する高山は、全国シェア90%を占める茶筌(ちゃせん)の里で、1月〜2月寒風が吹く時期に田圃や庭で、高山の里の冬の風物詩「竹の寒干」が見られます。高山で取れる良質の淡竹(はちく)を熱湯で油抜きし、冬の天日にさらすと、青かった竹が白くなり、それを1年以上寝かせてから茶筌などに加工されます。そもそも高山の「茶筌」は今から約500年前、将軍足利義政に仕えた連歌師の高山宗砌(そうぜい)が、茶の湯の創始者で、奈良の称名寺(しょうみょうじ)の村田珠光(じゅこう)に依頼されたのに始まり、その後、1690年代(元禄年間)高山茶筌師の称を将軍家から免許されました。
 中世の山城「高山城址」

 「竹林園」の「ささやき広場」トイレの横から東へ出て、環境省、奈良県が設定した「近畿自然歩道」を北へ辿ると「くろんど池」へ至りますが、茶筌の里、高山の集落を抜けると、途中で左(西)側の丘の上に「高山城址」があります。「高山」は、元々「鷹山」と云い、奈良の興福寺一乗院衆徒、鷹山氏一族の本拠地でした。鷹山氏は、室町時代中期以後半世紀余りが全盛期で、1551年(天文20年)に死去した鷹山頼春の代に「高山」姓に改め、高山の里の北部にある(写真の)小高い丘がその居城であった「高山城址」と伝えられ、現在は山頂に高山城の由来を記した標示板と、石の鳥居、十三重石塔が建っているだけです。
 貸ボートが浮かぶ「くろんど池」

 近鉄奈良線「富雄駅」から傍示(ほうじ)行のバスに乗り、バス停「くろんど池口」で降りて、西へ向うと、奈良県の四大溜池(白川溜池倉橋溜池、斑鳩溜池と共に)の1つ「高山溜池」があり、続いて「くろんど池」です。堤長135m、堤高23.4m、受益面積530haで、奈良県西北端、大阪と京都の府県境にあるこの辺りは日本でも極端に雨が少なく、享保〜天保年間は旱魃による飢饉が頻繁に起こり、水不足に悩まされ、その頃、代官の有井山精治(せいじ)が灌漑用に築造しました。嵯峨天皇の時代、蔵人(くろうど)職の貴族の別荘庭園があったので、「くろんど池」と呼ばれ、松林の池畔ではキャンプも出来ます。




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