二上山の麓、當麻の里  その3

 伊邪那岐(いざなぎ)神社

 「現徳寺」の北側、「孝女伊麻の史跡」の前に石の鳥居が建っていますが、これはそこから400m先に見える森の中に鎮座する「伊邪那岐神社」の鳥居で、かっての参道は綺麗に整備されて、途中一本道の脇に鰻を1匹あしらった瓶形椅子が数個置かれています。「伊邪那岐神社」の祭神、男神の伊邪那岐命は、古事記日本書紀によると、女神の伊邪那美命と共に神代七代の最後の神で、高天原より淤能碁呂島(おのころじま)へ天降(あまくだ)って、伊邪那美命と「まぐわい」をし、大八洲(おおやしま)の日本国や、万物を司る神々を産み、最後に天照大神、月読尊、素戔鳴尊を産み、それぞれの神が治める国々を定めました。
 県下第2の石室をもつ「平林古墳」

 「伊邪那岐神社」から更に西へ行くと国道165号大和高田バイパスで、バス停「兵家」に至って、更に西へ坂道を上がると、全長約55mの「平林古墳」があります。前方部を南西山麓側に置く前方後円墳で、前方部が後円部より高く、かつ幅もより広く、特異な型の古墳で、6世紀後半頃のものと推定され、また、後円部の南から入れる大きな横穴式石室があり、全長約20.1m、羨道(せんどう)幅約1.9m、玄室幅約3.3m、盗掘されていた石室から、まだ残っていた武器、馬具、鉄製農工具、土師器、須恵器、銅鏡片など多数出土しています。なお、石室は公開されていて、羨道の奧に組合せ式石棺の底石が見られます。
 葛城山系「岩橋山」の「石橋」

 「平林古墳」の横の坂道を更に登って行くと、目の前に聳える葛城山系の岩橋山(標高658m)に至りますが、ここはその昔、役行者葛城山から金峯山石橋を架けようとした山で、その一部が現在も山中に残っています。この話は「日本霊異記」「今昔物語」「水鏡」等に書かれ、江戸時代の「河内名所図会」にも描かれていますが、石橋の形状は、表面に橋板状の段が4つ在り、両端が欄干の様にやや高く、幅三尺で長さ八尺ほどです。また、西方が少し欠けていますが形勢は正に南峰に延びようとしています。けれども、橋はこれだけで、ぷっつり右側が切り取られて、金峯山まで延びていた部分は現在もう残っておりません。




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