国指定重要無形民俗文化財、春日若宮の「おん祭(まつり)」

 「春日大社 」の摂社「若宮神社」は、本社の南徒歩2分の所に鎮座し、本社と別の様神、天押雲根命(あめノおしくもねノみこと)を祀り、例祭「おん祭」は毎年12月15日〜18日に行われるが、既に10月1日11:00〜、お旅所(たびしょ)の「縄棟(なわむね)祭」で始まり、12月1日、春日大社表参道、一ノ鳥居を入った「お旅所」に仮御殿(黒木の松の御殿)が造られます。

 12月15日13:00〜、「大宿所詣(おおしゅくしょもうで)」、JR奈良駅前から「大宿所」へ辰市・八島・郷・奈良の渡り神子行列が練り歩き、お祭で着用する衣装や武具が餅飯殿(もちいどの)町の「大宿所」に飾られ、14:30、16:30、18:00 の三度、「大宿所」で「御湯立(みゆたて)神事」があり、巫女さんが笹の葉っぱで湯を振りそそぎ鈴を鳴らしてお払いをされ、安産にご利益があるので、妊婦の参拝が多数あります。また、春日講の方々が大和士(やまとざむらい)の扮装で到着して、17:00〜、「大宿所祭」が行われます。なお、この日に奈良では「のっぺ」を食べる習慣があり、地元の商店街で「ノッペ汁」がふるまわれます。他府県にも「のっぺい汁」はありますが、奈良の「のっぺ」は3cm角の厚揚げと野菜の精進料理で、材料は油揚げの大きさに合わせて乱切りにし、薄味で煮込み、師走の夜半に心までも温かくなる鍋汁です。

 12月16日14:00、「願主役一行宵宮詣」、「若宮神社」へ大和士が流鏑馬児を伴って到着し、神前にご幣を奉り、拝礼を行い、15:00、「田楽座宵宮詣」、田楽座の方が「春日大社本殿と若宮神社」に到着して田楽を奉納され、16:00〜、「春日大社と若宮神社」で「宵宮(よいみや)祭」が行われ、神楽(かぐら)が奉納されます。

 12月17日00:00、「遷幸(せんこう)の儀」、「若宮」から「お旅所」へ御霊(みたま、若宮様)が遷(うつ)されますが、松明やお香を持った方々が参道を清め、太鼓や笛の音が春日の山に響く浄闇の中を厳かに御霊が提灯の先導でお通りになるけど、秘儀にて写真撮影禁止です。

 01:00〜、「お旅所」で「暁祭(あかつきさい)」を行い、9:00〜、「本社」と「若宮」で「本殿祭」が行われ、12:00〜、「お渡り式」、「奈良県庁前」を出発した行列が平安から江戸時代に至る各時代の多彩な風俗姿で、登り大路、近鉄奈良駅前、油阪、JR奈良駅前、三条通り、奈良市観光センターと、延々約2.5キロのコースを練り歩き、行列の総勢は約千人余り、馬も数十頭の伝統行列で、「おん祭」のハイライトです。

 まず始めに鼓笛隊とブラスバンドの先行々列が行き、その背後、「お渡り式」に先立って先頭に藤の紋所で紅白の幟(のぼり)が立ち、続いて千早(ちはや)と云う長い白布を肩から地面に垂らした赤衣(あかえ)の「梅白枝(うめノずばえ)」と「祝御幣(いわいノごへい)」が従い、


1.先頭に紅白の幟(のぼり)
2.赤衣の「梅白枝」と「祝御幣」


 次に巻纓冠(けんえいかん)に造花の桜を挿し、青摺りの袍(わたいれ)を着た騎馬の少年は「十列児(とおつらノちご)」。黒の束帯に造花の藤を冠に挿した騎馬の貴人は「日使(ひノつかい)」で、その昔関白藤原忠通が「おん祭」に向かう途中で病になり、供の楽人にその日の使いを頼んだ事に由来する使者です。

3.騎馬の少年「十列児」
4.藤原家の使者「日使」


 その後に「巫女(みかんこ)」、「細男(せいノお)」、「十番力士・支証」、「猿楽(さるがく)座」、「田楽(でんがく)座」と続き、

5.奈良神子(ならノみこ)
6.馬上の白衣(細男座)

 また、山鳥の尾を頂に立てた「ひで笠」を被り、背に造花の牡丹を負った騎馬の少年は、「馬長児(ばちょうノちご)」で、元は興福寺学侶が輪番で頭人になって稚児をしていた少年ですが、彼に随従する被者(ひしゃ)は、五色の短冊に「合ふ恋」「見る恋」「忍ふ恋」等の恋に関する文句を書き付けた札(ふだ)を吊り下げた笹を持ち、木履(ぼくり)を腰に付け、龍蓋(りょうがさ)を被っています。更に後で行われる舞楽の蘭陵王(らんりょうおう)と納曽利(なそり)の舞の順番を決める「競馬(くらべうま)」の騎者、「流鏑馬児(やぶさめノちご)」、奉納の「将馬(いさせうま)」、「野太刀(のたち)」、「大和士」が続き、

7.龍蓋をかぶる被者と「馬長児」
8.奉納する「将馬」
9.幹部候補生の担ぐ「野太刀」
10.鎧兜の「大和士」

 最後に江戸時代から「お渡り」に加わった大名行列は、大人と子供の大名行列が別々に練り、先箱持ちは「ひぃ〜よいやさ〜」、槍持ちは「えぃよいまかせぇ〜」、そして又、大鳥毛持ちは「やぁこらさぁ〜のぉさぁ」等とそれぞれ掛け声も異なっています。

 そして、行列がJR「奈良駅」前から三条通りへ入って東へ向い、「すべり坂」を上って、12:50頃、興福寺の南大門跡の下まで来ると、「南大門交名(きょうみょう)の儀」が行われ、御師役の大和士が懐中から文名を取り出し、声高らかに読み上げると、行列は更に三条通りを東へ進み、春日大社「一の鳥居」を潜って、13:00頃〜、「影向(ようごう)の松」の下で「松の下式」があり、金春一座の三人が「翁」を舞われ、狂言方が問答「三笠風流」を披露し、その他珍芸が奉納されて、これらが終わると、また行列は「お旅所」へ向います。


11.子供大名行列
12.「松の下式」田楽座

13.「競馬(くらべうま)」
14.「流鏑馬児」

 14:00頃〜、一の鳥居内「馬出橋」からお旅所前「勝敗榊」に至る参道を疾走する二頭で競馬が行われ、左の馬が勝つと、後で、左舞の舞楽「蘭陵王」、右の馬が勝つと、右舞の納曽利の順で舞われます。14:30過ぎ、一の鳥居から馬出橋辺りで、三騎の稚児により一の的〜三の的に矢を射って稚児流鏑馬を行い、いよいよおん祭の本番「御旅所祭」が始まり、15:00頃、「お旅所」の竹囲いの封を切って埒(らち)が開けられ、16:00〜、「お旅所」の芝の舞台で八乙女(やおとめ)の「社伝神楽(かぐら)」が奉納され、日が落ちて行宮(あんぐう、仮宮)の瓜灯籠に灯がともり、舞台の周囲6ケ所に篝火が炊かれ、第27代(あんかん)安閑天皇の御世、駿河の有度浜に天女が舞い降りて遊んだと云う故事による「駿河舞(東国の風俗舞)」と「求子舞」の2曲を舞人(童児)4人で舞う「東遊」、「田楽」、「細男の舞」、「猿楽」、「舞楽」、「和舞(やまとまい)」、「神楽式(かぐらしき)」と続き、「舞楽」は、振鉾三節(えんぶさんせつ)、萬歳楽(まんざいらく)、延喜楽(えんぎらく)、賀殿(かてん)、地久(ちきゅう)、そして、春日大社で古くから伝えられて来た大和の風俗舞である「和舞」は、太刀を佩き、榊の枝や桧扇を持って「神主舞」、「諸司舞」が舞われ、

15.社伝神楽(神のます)
16.東遊(あずまあそび)

17.赤い面を被った「地久」
18.「和舞」の1つ、諸司舞

 また、平成16年度の「舞楽」では、競馬の勝負で左方が勝ったので、中国・北斉の王、顔が女人の様に優しかったから、戦に赴いて恐ろしい面を被り、勇敢に戦った「蘭陵王(らんりょうおう)長恭」の左舞(唐楽)が先に舞、続いて右舞(高麗楽)は「納曽利(なそり)」で、二人で舞う時は「落蹲(らくそん)」と云い、清少納言の枕草子に「落蹲は、二人して膝踏みて舞ひたる」と書かれています。その他、神功皇后の先鋒(率川明神)の左舞「散手(さんじゅ)」、漢に降伏した匈奴の日逐王の右舞「貴徳(きとく)」、林邑(ベトナム)の僧仏哲(ぶってつ)が伝えた左舞「抜頭(ばとう)」の舞があり、これら左右一対を五番、十曲が舞われ、古典芸能が22:30頃まで続き、

19.左舞の「蘭陵王」
20.「納曽利」の二人舞「落蹲」

 23:00〜、「還幸(かんこう)の儀」で、御霊が「お旅所」へ遷幸(せんこう)されてから24時間以内に「若宮」へ還幸されますが、電気が消された暗闇の中を大松明の先導で、若宮様は榊を持つ神職神人の人垣で囲まれ、伶人(れいじん)が腹の底から発せられる低い「オーオー」と叫ぶ警蹕(けいひつ)の乱声(らんじょう)で参道を清めながら、足早に「若宮神社」へ還幸になり、若宮様が還られた暗闇の「お旅所」には、木立の間から冬の星座オリオンが中天に輝いています。なお、「還幸の儀」も秘儀にて写真の撮影は禁止です。

 12月18日は、「おん祭」に関わった方々への労いの「後宴(ごえん)」、13:00〜、「お旅所」の南側に設えた特設土俵で県下の中学生による「奉納相撲」が行われ、14:00〜、「お旅所」の芝の広場で「おん祭」最後の行事として、「後宴能」が行われ、これにて大和の「祭り納め」です。


21.奉納相撲
22.後宴能


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