奈良市の東端「田原」「水間」から「山添村」  その10

 奈良県指定史跡「大川(おおこ)遺跡」

 「神波多神社」境内の東に真言宗豊山派「善明院」があり、その横を通って南へ下り、集落を抜け山道を北東に辿ると、名張川の岸辺に「大川遺跡」があります。草深い遺跡は、昭和31年に発見されてから数度発掘調査が行われ、遺跡の中央部から縄文時代早期の住居跡二軒のほかに集石炉や焼土壙(やきどこう)が確認され、住居跡は深さ40cm前後でほぼ円形に直径3〜3.8mほど地面を掘り下げ、上屋を構築した竪穴式で、内部に炉を設けず、集石炉や焼土壙などが住居の周囲から発見され、また、土器は底が尖った深鉢形で、彫刻した小さな円棒を用いて文様を施された「大川式」と呼ばれる押型文土器が出土しています。
 名張川の「大川橋」

 「大川遺跡」の直ぐ南側に「大川(おおこ)橋」が架かっています。橋を渡らず「名張川」に沿って上流へ辿ると、6月22日の解禁日から「鮎の友釣り」をしておられる遊魚者が多数見受けられます。遊漁券は広瀬友鮎所(TEL 0743-85-0711)や、漁業組合(TEL 0743-85-0006)で販売され、鮎の日券は2000円、漁区は上流の「平井亭」〜下流の「遅瀬蛇ぶち」までの区域です。なお、「名張川」の上流には室生ダム、比奈知ダム、青蓮寺ダムがあり、時々ダムに貯った水を流し、川の水が急に増えることがあるので注意しなければなりません。また、ダムに貯まった水を流す時は、前もってサイレンや疑似音等で知らせています。
 旧西方寺の「収蔵庫」

 「大川遺跡」から「名張川」沿いに約3キロばかり上流へ行くと、「広瀬橋」に至り、元の広瀬小学校、現在「広瀬保育園」の運動場の端に「西方寺収蔵庫」があります。蔵の中に国重文「木造阿弥陀如来立像」が安置され、快慶の無位時代の作品です。本像は、粉溜(ふんりゅう)、切金文様、像高98.5cmで、檜材の寄木造、眼には水晶の玉眼(ぎょくがん)を嵌入(かんにゅう)しています。なお、「西方寺」は、伊賀の「九品寺」の末寺で、861年(貞観3年)に清和天皇の病気平癒の為に再建され、尼僧が27人も安住していたらしいけど、確証がなく、旧広瀬小学校改築の際、字上出に仮堂が建てられ現在は廃寺です。




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