東大寺  その3

 大仏殿前の国宝「八角大燈籠」

 大仏殿を取り囲む回廊の中門から、石段を少し下りて、石畳を歩いた突き当たりに大きな金銅製の「八角燈籠」が建っています。高さは4.6mもあり、東大寺創建当初の物で、1101年に修造して宝珠に火焔を付け、1180年(治承4年)12月28日平重衡(たいらノしげひら)の南都焼き討ちと、1567年(永禄10年)10月10日松永久秀の兵火と、2度にわたる大仏殿の炎上にも無事にくぐり抜けた歴史的な遺品で、天平時代の工芸技術の粋を今に良く伝え、燈籠の造りは、基壇、竿、火袋、笠、宝珠から成り、竿には燃燈の功徳等を説いた経典が抜粋して刻まれ、その上の大きな火袋の両面開きの扉四面には雲の中を走る四頭の獅子、他の四面には音声菩薩(おんじょうぼさつ)がそれぞれ菱形格子の透し地に浮彫りされ、とりわけ音声菩薩の意匠は素晴らしくて、しなやかな体つき、楽器を操る腕先と胸の間の遠近感、風を受けてなびく天衣など、立体的表現が見事です。そして、燈籠の右で手と口を洗い、段を上がると大仏殿です。
 国宝「盧舎那仏(るしゃなぶつ)」尊像

 749年(天平21年)2月陸奥国小田郡から国守百済王敬福が献じた黄金440キロで鍍金し、大仏がほぼ完成したのは752年(天平勝宝4年)春、大仏鋳造大仏殿を建立したのは、金知識37万4902人と役夫51万4902人、木材知識5万1590人と役夫166万5071人、総数約260万3千人です。これら役夫の人々が大佛師の下国公麿、大鋳師の高市真国の指揮下、6年の歳月を要して、開眼供養会は、752年4月9日に聖武上皇光明皇太后、娘の孝謙天皇(安倍内親王)ご臨席の下、大納言藤原仲麻呂、左大臣橘諸兄を始め文武百官が従い、良弁僧正を始め参列した僧呂は1万人で、庶民は参列せず、開眼導師は病弱で筆も持てない聖武上皇に代わり、婆羅門(バラモン)僧正菩薩のインド僧遷那(せんな)が、長さ57センチ、直径4センチの極太の筆に墨を含ませ、高さ15mにも及ぶ大仏さんに目を入れました。なお、その時用いられた筆は今も、正倉院に保管され、数年前の正倉院展で、その模造品が展示されました。
 西塔跡の直ぐ東にある「五輪塔」

 東大寺には創建の時、東西に高さ約100mの 「七重塔」が建っていましたが、西塔は934年 (承平4年)10月19日落雷で炎上し、東塔も1180年(治承4年)12月28日平重衡を総大将とする約4万の軍勢による奈良攻めによって兵火で炎上し、その後は再建されていませんが、創建時の姿は大仏殿内北側に置かれた模型で偲ぶ事が出来ます。また、西塔跡の東側「五百立山」山麓に、写真の様に五輪塔が六頭建っています。 江戸時代初期、第107代後陽成天皇の皇子で、尊覚法親王と、第108代後水尾天皇の皇子で、真敬法親王の御墓です。なお、東大寺はお寺でもお葬式をせず、境内に在るお墓もこれだけです。
 国宝の四天王を安置する「戒壇院」

 「戒壇院」は、754年(天平宝勝6年)鑑真和上が来朝し、4月我が国で初めて正しい戒律を聖武太上天皇や光明皇太后、娘の孝謙天皇らに大仏殿前で受戒した土壇(インド、中国、日本の土)を遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが起りで、ここから多くの僧が巣立ち、その後、1180年(治承4年)12月全焼し、重源上人が鎌倉時代に復興して、1446年(文安3年)、1567年(永禄10年)にもまた炎上し、現在のお堂は、1731年(享保16年)再建で、堂内の多宝塔に多宝如来と釈迦如来が並び、廻りを南東角から右廻りに天平塑像高さ約1.6mの四天王(持国、増長、廣目、多聞)が取り巻いています。
 東大寺「指図(さしず)堂」

 なお、「戒壇院」から「大仏殿」の方へ少し戻って北へ向かう右側に、円光大師(法然上人)二十五霊場第十一番、「指図堂」があります。平重衡の兵火で、1180年(治承4年)大仏殿が炎上し、その復興に俊乗坊重源上人が当たり、上人は自らを南無阿弥陀仏と称するほど浄土信仰に篤く、また、重源上人の招きにより、法然上人が再建途上の「大仏殿」で浄土三部経を講じ、更に東大寺が又もや兵火で焼失し、ここに大仏殿復興の計画図面を収める「指図堂」が禅宗様で正面左右に花頭窓をとって建てられ、その後、浄土宗徒の願いにより霊場となりました。堂内の正面に墨染の衣に金剛草履を履いた法然上人が祀られています。
 依水園(TEL 0742-22-2173)

 「戒壇院」の緩やかな石段を下りて南へ向うと、東大寺境内で無く、古くは興福寺の子院「摩尼珠院(まにしゅいん)」があった所で、鎌倉時代頃から吉城川の水門が在った水門町です。1670年代(延宝年間)から吉城川で名産奈良晒(さらし)が晒され、それを業としていた清須美(きよすみ)さんが、「南大門」や「若草山」を借景にして造られた名勝庭園「依水園(いすいえん)」が在り、園内に磁器を展示の「寧楽(なら)美術館」も在ります。また、南隣が「吉城園(よしきえん、TEL 0742-22-5911)」で、園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、木造・平屋建・かや葺の離れ茶室と一体となった閑静なたたずまいです。




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