生駒山周辺と信貴山まで  その9

 元山上千光寺(TEL 0745-45-0652)

 「鳴川峠」から東へ下ると、真言宗醍醐派・鳴川山「千光寺」に至ります。役行者が生駒明神の御神託によりここを開いて小さな草堂を建て、漆の木で「千手観音」を刻んで、日夜荒行に励み、母・白専女(しらとうめ)も共に修行をし、ある時不思議な光を放つ山の霊威を感じ、2匹の鬼と共に二上山葛城山金剛山、友ヶ島を経て、熊野から大峯山山上ヶ岳へ登ったので、鳴川千光寺を「元の山上」と呼び、また、母は残って修行を続けたので、「女人山上」とも称され、静寂な境内に観音堂、行者堂、宝塔、十三重石塔が建ち、女人禁制の大峯山と同様の行場もあるが、こちらは女人歓迎で、当寺はユースホステルでもあります。
 千光寺(せんこうじ)の「観音堂」

 今から約1300年前、役行者が平群の里で、清い水がとうとうと流れる小川を見つけ、何処から流れて来るかと山中に分け入り、ごえごうと音を立てて流れ落ちる滝の所で長さ三丈(約9m)、口から火の様な赤い舌を出し、今にも襲いかからんとする大蛇に出会い、傍らの岩の上に立った役行者は、右手に錫杖、左手に念珠を持ち、孔雀明王の真言を唱え、カッと睨み返すと、大蛇は一瞬怯え、それでも鎌首をもたげ襲いかかり、役行者が素早く錫杖をふるって大蛇の脳天に一撃を加えると、大蛇は長々と伸びて、白髪の老人が現れ「この地は仏の住まう霊地、そなたはここで修業なさるがよい」と告げて忽然と姿を消し、その後に、(次に続く)
 千光寺「行者堂」

 八尺地蔵が静かに立っていました。今も千光寺「行者堂」に役行者が退治した大蛇の骨が祀られ、その時の錫杖も保存され、彼が連れていた二匹の鬼(雄の前鬼と雌の後鬼)が持っていた斧も残っています。そして683年(天武天皇の御宇、白鳳12年)天皇随喜渇仰し鎮護国家寶柞長久のため伽藍を建立し、号を「千光寺」と称して寺領五百石を下し賜り、かっては多くの塔頭があったが、室町時代の1540年頃(天文年間)兵火にかかって、1580年頃(天正年間)松永久秀に寺領を没収され、自然に伽藍も衰退し、今に至っているけど、本堂の前にある県文化の梵鐘は、元仁2年(1225年)乙酉4月1日の在銘があります。




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