北山の辺の道  その7

 正暦寺(TEL 0742-62-9569)

 「山の辺の道」から逸れ、菩提仙(ぼだいせん)川に沿って東へ3キロ行くと、楓樹が多く「錦の里」と呼ばれる真言宗菩提山龍華寿院「正暦寺(しょうりゃくじ)」です。992年(正暦三年)に第66代一条天皇の勅願で、関白の九条兼家(かねいえ)の子兼俊(けんしゅん)大僧正の創建、写真は本堂と川を挟んで対岸に建つ重文「福寿院」の山門、県指定の客殿は延宝九年(1681年)の棟札を持ち、「孔雀明王坐像」を安置し、高さ103.7cm、本躰は桧の一木造で、孔雀は別造、鎌倉時代末の作で県文化。また、襖絵で狩野永納(えいのう)の「富嶽」や、虎の絵で名高い岸駒(がんく)の「龍虎」も所蔵しています。
 清酒発祥の地「正暦寺」本堂

 観音の誓願に因む三十三段、阿弥陀に因む四十八段の石段を上がると、菩提山龍華院「正暦寺」の本堂です。最盛期に86坊の堂塔伽藍を有したが、1180年(治承4年)平重衡の南都焼き討ちで殆ど焼かれ、後に、1216年(健保6年)興福寺別当の信円僧正が法相宗の学問所として再興し、以後興福寺の別院でした。本尊は国重文で秘仏「金銅薬師如来倚像」、像高約35cm、奈良時代の作で、山号の菩提山は、春日山を中心に右回りに取り巻く所が釈迦が修行をした聖地と同様の鹿野園大慈仙忍辱山誓多林菩提山の五大山で、その内の1つに位置する事に由来し、「五大山」の各名称は、今も各町名に残っています。

 紅葉の古刹「正暦寺」の石仏

 「正暦寺」も、江戸時代に300石の朱印地を与えられていましたが、明治初年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により荒廃(こうはい)し、多くのお堂や、伽藍、三重塔等を失い、今残っている建物は、本堂と鐘楼、それに「福寿院」だけですが、それでも本堂のご本尊は、白鳳期の作で国重文の金銅薬師如来倚像、通常は秘仏で、年3回だけ開扉されます。その他では国重文の僧壱阿含経巻第三十や、境内から出土した青磁鉢等も有り、本堂と鐘楼がある境内に上がる石段の脇の傾斜には、写真の様に縦10列程に100以上の石仏が並び、その両側には鎌倉時代作の十三重塔と、宝篋印塔(ほうきょういんとう)とが建っています。




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