国史跡「新沢千塚古墳群」 「倭彦命の御陵」の北脇を通って、西方へ向うと、「新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群」の南麓を抜けて、バス通りに出て北へ行くと、橿原市千塚資料館(TEL 0744-27-9681)があります。橿原市内の遺跡から出土した考古資料を展示していますが、史跡公園の新沢千塚古墳群は、バス通りを挟んで南北に渡り、約400基(南東に延びる貝吹山の麓までの丘陵2キロ四方の範囲ならば約600基)の古墳が密集し、その様はあたかも山一帯に土饅頭を並べた様で、この辺りを千塚山と呼び、昭和37年から5年間に渡って、約130基の古墳が発掘調査され、特に126号墳からササン朝ペルシャ産のガラス碗等が出土しています。 |
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深田池に渡来して越冬中のマガモ なお「千塚資料館」の裏から東へ抜けて、バス通りの北側に広がる「新沢千塚古墳群」内の遊歩道を更に東へ進んで、丘陵より道なりに北へ下りて、また畑の中を東へ向い、西池尻町の集落に入って北へ向うと、近鉄南大阪線の踏切を渡った東側が「橿原神宮」の境内で、神饌田(しんせんでん)の東隣が「深田池」です。万葉の時代から歴史のあるため池で、奈良時代に築造されたと伝えられ、水源は畝傍山の南斜面約13ヘクタールに降る雨水で、かんがい池としてだけでなく、豪雨時の洪水調整池としても貴重な役割を担い、「ため池管理組合」により自然石護岸、中桟橋、南桟橋、散策道、野鳥生息広場などが整備されています。 |
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橿原神宮(TEL 0744-22-3271) 「深田池」の直ぐ北側に「神嘉殿(旧織田屋敷)」が建ち、その横を更に北へ向うと、「橿原神宮の南神門」で、境内は、畝傍山(標高199.2m)の南東麓に49万5千平方メートルの広大な地域を有し、南北に2つ建つ「神門」内には、両脇に回廊を連ねた入母屋造の「外拝殿」が左正面に建っています。なお、「橿原神宮」の拝殿へ向う参道は、近鉄「橿原神宮前駅」から北西へ「第一鳥居」を潜って、宮川の「神橋」を渡り、「第二鳥居」を潜って入る「表参道」の他に、近鉄橿原線の「畝傍御陵前駅」から入る「北参道」、そして、近鉄南大阪線「橿原神宮西口駅」から「深田池」の北側を通り西から入る「西参道」があります。 |
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橿原神宮の「外拝殿(げはいでん)」 昭和14年に建立の「外拝殿」の石段を上がると、正面奥に内拝殿(元京都御所の神嘉殿)と「幣殿」が建ち、奥の国重文「本殿」は見えないが、1855年(安政2年)建立で、元京都御所の「賢所(かしこどころ、温明殿)」を明治23年橿原神宮創建に際して明治天皇より下賜され、間口五間、奥行二間、入母屋造、桧皮葺です。なお、「橿原神宮」は、明治21年「日本書紀」に記された初代神武天皇が、西暦紀元前660年辛酉(かのととり)正月元旦に畝傍山の南東「白橿原(かしはら)宮」で即位された故事に基づいて、宮跡の位置を治定された官幣大社で、祭神に神武天皇と皇后媛蹈鞴五十鈴媛命の2柱を祀っています。 |
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橿原神宮の「土間殿(どまでん)」 4月3日は、神武天皇の命日で、春の「神武祭」が毎年行われ、「内拝殿」では、10:00〜、祭典に続き、13:00〜、県の無形文化財にも指定されている古い歌舞の「國栖奏(くずそう)」が舞れ、「外拝殿」からも見ることができます。なお、「國栖奏」は、毎年旧正月14日吉野「浄見原(きよみがはら)神社」の神前で、翁筋(おきなすじ)と呼ばれる家柄の人達によって奉納される古舞です。また、「第一鳥居」と「南神門」の間では、12:30〜、ハーレーダビッドソンや古代行列が行われ、「外拝殿」の北側に建っている「土間殿」では、15:30〜、金春流(こんぱるりゅう)の能と狂言などが演じられます。 |