仏教で見た末法(まっぽう)の現代
|
仏教では、大海の中にある世界の中心に須弥山(しゅみせん)が聳(そび)え、その高さは8万由旬{ゆじゅん、1由旬は帝王の軍隊が1日に進んだ距離で、約7マイル≒11.2kmと云う説もありますが、ちょっと短いようなので、中国流に6町(ちょう、1町≒109m)を1里(654m)として、1由旬を40里(26.16km)とすると、8万由旬は約209万km}で、縦・横もこれに等しく、金・銀・瑠璃(るり)・玻璃(はり、水晶)の四宝から成り、頂上の?利天(とりてん)中央に建つ喜見城に帝釈天(たいしゃくてん)が天冠をかぶって右手に金剛杵(こんごうしょ)を持ち、像に乗って座し、山腹の東西南北に八部衆を支配する四天王(持国天、広目天、増長天、多聞天)が武器を持って邪鬼を踏んで立ち、法を守って帝釈天に従い、また、日月が須弥山の周囲を廻り、七つの香海と七つの金山が須弥山を取り巻き、七金山の外に鹹海(かんかい)があり、鹹海内の四方に閻浮提(えんぶだい)、瞻部洲(せんぶしゅう)などの四大洲があって、仏の救済の対象となる迷える衆生(しゅじょう)は皆ここに住み、更に鹹海を隔てて鉄囲山(てっちせん)、八大地獄、その外に大鉄囲山が立ちはだかり、この世の外郭(がいかく)をなしていると云う。
なお、仏教で森羅万象(しんらばんしょう、宇宙間に数限りなく存在する全ての物)は、五大(ごだい、空・風・火・水・地の5種)から成り、墓場で見られる「五輪塔」で上から団・半月・三角・円・方の形で表し、それらを六根(ろっこん、目・耳・鼻・舌・手・頭)で知るのが色(しき)・声(しょう)・香(こう)・味(み)・触(しょく)・法(ほう)の六塵(ろくじん)で、修験者が山岳聖地に登り上がるとき、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」と唱えるのは、感覚器官を清浄にして、六塵を正しく認識するためです。 また、人間は死んだら、生前(せいぜん、生きていた時)の行(おこな)いによって、「地獄」「餓鬼(がき)」「畜生(ちくしょう)」「阿修羅(あしゅら)」「人間」「天上(てんじょう)」の「六道(ろくどう)」のいずれかに至り、また、生まれ変わって「六道輪廻(りんね)」を繰り返すと云われていますが、「地獄」「餓鬼」「畜生」を「三悪」と云い、苦しみだけで、際限なくのた打ち回る所が「地獄」、欲望に翻弄(ほんろう)され、それを貪(むさぼ)ることしかしないのが「餓鬼」で、野獣のように欲望のみに取り付かれ、本能のままに生きるのが「畜生」、これら「三悪」に怒りと争いに満ち、常に帝釈天と戦う「阿修羅(あしゅら)」を加えて「四悪趣(しあくしゅ)」と云うが、なお、阿修羅は、須弥山の北、海底地下8万4千由旬の所に居て、縦横八千由旬の広さを持つ光明城に住み、身の丈1由旬、寿命は五千歳とも云われ、また、彼には娘の舎脂(しゃちー)がいたが、帝釈天に奪い取られて、怒った阿修羅が戦いを挑み、その戦場を修羅場と云い、何時までも戦っていたけど、釈迦の説法により改心し、今では仏教を守る八部衆の一人です。そして、「人間」は苦があるけど楽もあり、そして「天上」は苦がなく不安もない解放された所で,「阿修羅」「人間」「天上」を「三善(さんぜん)」と云うこともあり、これら「六道」に至るのは、生前に現世で悪業(あくごう)を重ねた者がその報いによって閻魔大王の裁きにより「地獄」に落ち、責め苦を受けるには「八大地獄」があり、殺生などの罪を犯した者が堕ちるのが八大地獄の第一「等活(とうかつ)地獄」で、南瞻部洲(なんせんぶしゅう、須弥山の南方海上にある大陸)の下、五千由旬(約13万km)の所にあって、赤鬼、青鬼の獄卒により身を裂き、骨を砕かれて殺され、涼風によって生き返ると、また責め苦を繰り替えされて殺される地獄。 更に、亡者の「餓鬼」は、生前に自己の欲望のままに振る舞い、他人を慮(おもんばか)ることをしなかった者がなり、餓鬼が飲食しようとする食物はたちまち炎に変わって飲食できず、常に飢えと渇きに苦しみ、「畜生」は現世で悪戯(いたずら)に快楽を求めて性を貪(むさぼ)った者がなり、そして、「阿修羅」は生前に暴力的な生き方をした者が三面六臂(さんめんろっぴ、顔が三つで手が六本)で八部衆(八体一組で仏法を守護する釈迦の眷属)の一体になると云われ、「人間」は前世で普通に生活して来た人で、阿修羅より耳が2つ少なく、手も4本少ない者で、その上の「天上」は幸せいっぱい、何でも望みがかなうけど、それでも、羽衣が汚れ、頭上の花がしぼみ、体臭が匂い、腋の下に汗をかき、同じ所で退屈して楽でない、五衰(ごすい)の悲しみがあるそうです。 なお、「六道」の上に悟りを得ることによって、「声聞(しょうもん)」「縁覚(えんがく)」「菩薩(ぼさつ)」「仏(ぶつ)」があり、仏教の世界は全部で十段階に分かれており、また、時代分けでは、釈迦の入滅後、正法1000年、像法1000を過ぎ、平安時代の永承7年(1052年)から仏の教えが廃れ、現代は教法のみが残る最後の末法の世に至り、これから社会が荒れ悪くなる一方で、衆生は煩悩(ぼんのう)の三毒{貧(とん、むさぼり)・瞋(じん、いかり)・癡(ち、おろか)}に、慢(まん、まんしん)・疑(ぎ、うたがい)の2つを加え、「生・老・病・死」の四苦と、「愛(いと)しい人との別れの愛別離苦(あいべつりく)・嫌(いや)な奴(やつ)との出合いの求不得苦(ぐふとつく)・肉体と精神が駄目になる五陰盛苦(ごおんじょうく)」の4つを加えた八苦に悩んでいるが、それを救うのは須弥山の上空24万由旬(628万km)にある歓楽に満ちた兜卒天(とそつてん、七宝で飾られた四九重の宝宮)の内院で弥勒菩薩(みろくぼさつ)が1417万5千年間修行して、すなわち、兜卒天の一昼夜が人界(にんかい)の400年だから56億7千万年後、如来(にょらい)になってこの世に現れ、衆生を救うまで待つしか仕方が無いけど,そんなに長く待ち切れないので,西国三十三ヶ所第九番札所,南都「興福寺」北円堂には、運慶晩年の作「弥勒如来」を御本尊として、未来の姿で安置しています。 |