室生と大和富士周辺  その1

墨坂神社(TEL 0745-82-0114)

 近鉄大阪線「榛原駅南口」からバス通りを東へ行って、バスは途中で北へ曲がるが、そのまま直進すると「宇田川」の対岸に「墨坂(すみさか)神社」が鎮座しています。神武東征の砌、合戦のあった墨坂から、1450年(文安6年)に遷座されました。本殿は、1864年(元治元年)春日大社の本殿を拝領し、祭神は「古事記」に登場し、天地が開けた時に、始めて高天原に現れ出た天御中主(あめノみなかぬし)神、次に現れた高皇産霊(たかみむすひ)神、更に現れた神皇産霊(かんむすひ)神の造化3神と、最後に現れ出た伊耶那岐(いざなき)命と伊耶那美(いざなみ)命、更に大物主神の計6神の総称「墨坂大神」です。
墨坂神社から大和富士を見る

 日本書紀に、380年( 崇神天皇の御代)春3月、国中に疫病が蔓延した時、天皇の夢枕に神が現れ「赤盾八枚、赤矛八竿をもって宇陀之墨坂の神を祀れ」とお告げが有り、そこで勅祭すると、たちどころに疫病が平癒したと記され、今でも毎年11月3日例祭で、赤色の盾と矛が天神の森の御旅所まで渡御されます。なお、「墨坂神社」から真北を望むと、宇陀川に国道369号線(昔の伊勢街道)の橋が架かり、また、遠くに大和富士の額井岳(ぬかいだけ、標高816m)が聳え、その右側の山の中腹に山部赤人の墓が在り、近鉄大阪線の「榛原駅」から上内牧または神末行バスで、宇陀川、内牧川に沿って進むと高井へ至ります。
 弘法大師の岩清水

 「墨坂神社」から東へ行き、国道369号線(旧伊勢本街道、おかげ街道)へ出て、右へ折れると、直ぐ日蓮宗「龍寳寺」の本堂前に、室町時代作の不動明王を祀る愛宕山「不動堂」があり、当寺の他の仏像等は現在「宗祐寺」で祀られています。更に「宇陀川」沿いにR369を東へ向うと、道沿いに「弘法大師の岩清水」が後山の稜線の岩の中から湧き出しています。弘法大師が全国行脚の途中、清浄水の補給の為、この聖地で清水を掘り開きましたが、それ以来千百数十年この岩清水は日照り続きでも涸れず、嵐が来ても濁らず、ちょっとやそっとで腐らないことで有名で、地元の方は無論、遠く遠方からも車で汲みに来られます。
 御井神社(TEL 0745-82-1122)

 更に国道369号を東へ向い、バス停「桧牧(ひのまき)」を過ぎ、内牧(うちまき)川沿いに進むと、浄土真宗本願寺派の「真光寺」があり、内牧川の支流「西谷川」に国の特別天然記念物「オオサンショウウオ」が棲息しています。なお、国道を南へ行くと、道から奥まった所に「御井(みい)神社」が鎮座し、祭神は、御井神、天照大神、天児屋根命、水分(みくまり)神で、古事記によると、稲葉八上姫が私生児を生み、本妻の怒りを恐れ、その子を木の俟(また)に挟んだので、「木俣神」とも呼ばれる「御井神」です。なお、境内に奈良県の天然記念物「ツルマンリョウ」が自生地して、7月中旬に開花し、その北限地です。
 初生寺(TEL 0745-82-0453)

 宇陀市榛原地区檜牧から内牧川沿いに国道369号線を西へ向うと、榛原地区自明で、国道から右へ折れて南へ約1.5キロ上がると、真言宗御室派・竜起山慈明院「初生寺(はじょうじ)」です。730年代(天平年間)行基が開き、810年代(弘仁年間)空海が再興し、中世乱世に坊舎をことごとく焼失して、本堂のみ残り、1541年(天文10年)本瓦葺に改修し、1600年代(慶長年間)福島孝晴が屋根・茶園を寄進、1687年(貞亨4年)織田常真が本堂を再建、本尊は「千手観音立像」、鐘楼・薬医門・護摩堂・十一面堂があり、境内は県天然「ツルマンリョウ自生地」で、5月上旬「ツツジ百種」が咲き荒れます。
高城ふるさと館(TEL 0745-82-8389)

 また、国道369号線を西へ向うと、自明から高井の集落に入って、「伊勢本街道」は、バス停「高井」の3本の「道標」が建つ角を左に折れて上るが、更に進んで、「伊豆神社」の横を通って南へ向うと、バス停「赤埴口(あかばねぐち)」の次がバス停「八滝」で、ちょっと手前に宇陀市基幹集落センター「たかぎふるさと館」があり、周辺地区の地図を置き、遺跡の資料を展示し、東側の辺り赤埴は、万葉集にも詠まれ

 大和の宇陀の真赤土(まはに、真埴)の
 さ丹付(につ)かば そこもか人の
 我(あ)を言(こと)なさむ  巻7−1376
 平井大師の総供養塔

 「高城ふるさと館」を出て、また、国道369号線を南へ向い、バス停「内牧西口」辺りで、右へ折れ、県道218号線を西へ向い、途中県道から左へ折れ、南へ入り上がって行くと、大師山(標高437m)に四国八十八ヶ所に因んだ石仏で知られる「平井大師」があります。幕末の嘉永〜安政の頃(1850年頃)各地の施主によって寄進され、石工、丹波の佐吉照信が弟子達と共に刻んだ約百体の石仏が大師山を取り巻き、各石仏には本尊を浮き彫りにして、本尊の仏名、霊場番号、霊場名を刻み、台石に寄進者氏名もあり、特に十九番立江寺の「地蔵石仏」は、権現造の石造覆屋内に安置され、大本佐吉照信の銘がある秀作です。
 嶽神社(伊豆神社の上之宮)

 また、平井大師山石仏群の総供養塔は、四十九番岩谷山の不動明王坐像で、そこから右へ進み、東へ抜けて、1.7キロほど山道を登ると、国道369号線のバス停「内牧西口」の方から上がって来る「林道カラト線」へ出て、更に東へ登ると、御嶽山の中腹に「嶽(たけ)神社」が鎮座しています。1472年(文明4年)の夏、第103代後土御門天皇の御代、天下が大旱魃に至り、そこで大雲論請雨経の説に依り龍神を山頂に祀って雨乞いをしたのが始りです。祭神はタカオカミノ神(嶽明神)、麓の下内牧に鎮護神として祀られている「伊豆神社」、祭神・彦火々出見(ひこほほでみ)命の上之宮で、祭典は毎年9月15日です。
 嶽の立石(嶽太郎)

 「嶽神社」から斜め向いの東屋風・展望台へ登り、また下りて、林道を上がり、「嶽次郎」や「嶽三郎」の標識を見て左へ入って杉木立の間を辿ると、道の右脇に巨大な「嶽次郎」岩が立ち、丸太の階段を降りると、「嶽三郎」岩で、なお、進んで階段を上がると、「嶽太郎」岩が立っています。また、杉木立ちの中か ら右へ出て、2つの巨石が立つ所から更に林道カラ卜線を奥へ250m行き、行き止りで左へ分け入り、草を踏んで上がると直ぐ、杉木立の中に蛇(うわ)はみの「蛇石」が転がっています。なお、「嶽太郎」の下から左へ行き、渓谷沿いに山道を下ると、「カラトの寝石」群の横を通って、国道369号線に出ます。




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